あっ日穀製粉のそばの国だより

豊かな自然に囲まれたそばの国信州から、日穀製粉が様々な情報をお届けします。

2013/06/11

スタッフlog

ニッコクグラフ第13号

すっかりご無沙汰しています、中年トランペッターことT写真部長です。
今回私がご紹介する場所はズバリ『 碓氷峠

長野県に住みながら軽井沢に行った事が無い我が家の子供たち。
6月最初の日曜日。家族と共に初夏の清々しい軽井沢を目指しました!

軽井沢と言えば旧軽銀座。まだシーズン真っ盛りではないのに、すでにここは人だらけ。
そんな人ごみを横目に目指すは銀座の北に位置する峠。
ここだけの話し、私人混みが大の苦手でして・・・

東京から軽井沢を目指そうとしますと
1:上信越自動車道
2:碓氷バイパス
3:国道18号碓氷峠(中山道)
4:長野新幹線

と4ルートもあるのですが、実はもう一つあるのです。
車では通る事が出来ないのですが、旧中山道の旧碓氷峠。
まず私が目指したのは旧碓氷峠にある標高1,200mの見晴台。

blog_130610_01.JPG

復元された碓氷関所をくぐりぬけます。
途中に遊歩道への分かれ道がありますが『クマに注意!!』の看板が出ていますので、お気を付け下さい。

blog_130610_02.JPG
関所から数分歩くと見晴台があります。
あいにくの曇り空でしたが、天気が良い日には関東平野、妙義山、赤城山、榛名山、南アルプス、
北アルプス、浅間山、軽井沢高原を心ゆくまで楽しめます。
軽井沢を訪れた多くの外国人もその美しさに驚嘆し『サンセットポイント』と名付けたそうです。

戦国時代には狼煙台として使われていたことからも、その眺望の良さが分かりますね。 blog_130610_03.JPG

学生の頃、毎年夏休みにはこの近くの峠の茶屋で住込みのアルバイトをしていたのですが、この見
晴台で沈む夕日を見ながら飲むビールは最高でした。ただし、夕方には16℃くらいまで下がるの
で、Tシャツ1枚だとエライ事になります。

さて、見晴台の中にあるこの石の列。一体何だと思います?

blog_130610_04.JPG

実はこれ、県境なのです。

blog_130610_05.JPG

なんとこの見晴台には、長野県と群馬県の県境が走っているのです。
そしてこの県境が向かう先には・・・

見晴台から数分歩くと、熊野皇大神社があります。
いや、正確に言うと熊野皇大神社熊野神社

実は先ほどの県境。私がアルバイトをしていた茶屋の店内を通り、さらに神社の参道、階段、正門、
本宮の中を突き抜けます。本宮の中心が県境となっていて、
長野県側が熊野皇大神社、群馬県側が熊野神社と呼ばれています!! blog_130610_06.JPG


御賽銭箱も二つ。
向かって左が長野県熊野皇大神社分。右が群馬県熊野神社分。
信州人なので左側にチャリンと。
blog_130610_07.JPG

お参りをした後左手(長野県側)に進むと、御神木のシナノキがあります。
樹齢800余年の御神木。もの●け姫の雰囲気ですね〜。 blog_130610_08.JPG
熊野皇大神社から更に北に進むと間もなく砂利道になり、更に狭くなり車での通行は出来なくなります。

旧中山道にあるこの旧碓氷峠は、戦国時代〜江戸時代に関東と信濃国や北陸を結ぶ交通の要衝と位置づけられ、数多くの戦国武将もこの峠を行き来しました。
天正18年(1590年)には小田原城征伐のため、豊臣秀吉の命を受けた前田利家ら北国勢が碓氷峠から進軍し、また慶長18年(1614年)4月末には峠を登ってきた伊達政宗が「夏木立 花は薄井の峠かな」と詠んだそうです。

blog_130610_09.JPG
幕末の文久元年(1861年)には14代将軍徳川家茂の婚儀のため、和宮一行がこの碓氷峠を越
えて江戸入りしたのですが、一行の数は3万人で何と50kmにも及ぶ行列がこの狭い峠道を通っ
たとのこと。

僕は今、戦国武将が通った場所に立っているんだ!!と、息子は興奮気味でした。

1千年以上もの間、様々な武将や旅人が通ってきた旧碓氷峠。
歴史のロマンを感じさせてくれる場所です!!

避暑地の代名詞でもある軽井沢。
お越しの際には、旧碓氷峠まで足を伸ばされてみてはいかがでしょうか。