あっ日穀製粉のそばの国だより

豊かな自然に囲まれたそばの国信州から、日穀製粉が様々な情報をお届けします。

2011/08/10

第4話 「信濃では 月と仏と おらが蕎麦」

   信濃では月と

      仏とおらが蕎麦

            読み人知らず

 

この句は小林一茶の作だと思っている人が多いですが、実は明治末期、柏原の中村某氏がつくったものです。

あまりにできばえがよいので、長い間一茶の作品だと思われてきたのです。

 

この句に出てくるは、いうまでもなく更科の名月です。

棄老(きろう)伝説が更級の姨捨山に出る仲秋の名月と結びつけて書かれた『大和物語』が、

世に出たのが平安時代の天暦五年(九五一)ごろでした。

この更科の名月蕎麦が結びついて「更科蕎麦」の名が生まれました。

更級郡は、そばの特産地ではありませんでしたが、更科蕎麦の銘柄は全国的に定着しています。

 

はいうまでもなく、善光寺阿弥陀如来

その仏さんを本尊とする善光寺は、その瓦から一二五〇年前の白鳳時代に建てられた古い歴史をもちます。

善光寺信仰は鎌倉時代から全国的に盛んになり、現在に至るまで多くの人々を集めています。

 

更科の名月と善光寺。

そして、おらが蕎麦が山国信州のお国自慢を端的にいい表しているということで、

前記の句が広く人々に親しまれています。

なお、信州の蕎麦が全国的に有名になるのは、江戸時代になってからです。

元禄八年(一六九五年)に発刊された『本朝食鑑』によると、蕎麦の記述にかなりのページをさいています。

上野(こうずけ・群馬県)、下野(しもつけ・栃木県)、武州(埼玉県・東京都・神奈川県)、總州(千葉県)、

常州(茨城県)では、蕎麦を多く産して佳品でありますが、信州産には及ばないと記されています。

 

 

前監査役 市川健夫

日穀製粉株式会社 社内報『にっこくだより』連載記事「蕎麦学入門」 

2011/08/06

第3話 「正月の行事食と年越し蕎麦」

お正月料理といえば、御節(せち)料理と雑煮や汁粉などのお餅が、全国的に共通しています。

しかし餅の形は、東、西日本で大きく異なっているのです。

近畿地方以西の西日本と石川・福井の北陸二県は丸餅、一方東日本は切り餅(菱餅)です。

東日本でも新潟県の佐渡と山形県の庄内平野では、西日本における丸餅圏の飛地になっています。

北陸地方でも富山県は丸餅と切り餅の漸移地帯で、魚津など加賀藩の飛地では、

正月五日まで丸餅を食べ、以降切り餅になるといいます。

切り餅の方が作り方が簡便です。しかし西日本ではなぜ丸餅になるかというと、

照葉樹林帯の風土故に、切り餅にするとカビやすいからです。

さらに種子島以南の南西諸島では、丸餅に黒砂糖を入れてカビを防いでいます。

なお関西では、小豆飴を入れた丸餅を用い白味噌で煮付けした雑煮がつくられていますが、

雑煮の作り方も地域によってさまざまです。

歳取り魚は東日本では鮭、西日本では鰤(ぶり)を用いています。

その境界は長野県では東北信では鮭、中南信では鰤となっています。

結納蕎麦、棟上げ蕎麦、引越し蕎麦などとともに、

年越し蕎麦、正月蕎麦は、晴の食として重要視されてきました。

年の暮れに食べる年越し蕎麦は、つごもり蕎麦、晦日(みそか)蕎麦ともいわれています。

太陰暦の月の最終日を「つごもり」といい、

大晦日を「おおつごもり」ということから名づけられたと思われます。

江戸時代中期日本経済が発展し、文禄時代といわれたころから、

東日本の豪商の家では、年越し蕎麦を食べて家の繁栄を祈っていました。

それには何ごとも細く長く続くようにという願いが込められています。

いまでも東京はじめ、東日本では多くの家庭で年越し蕎麦が食べられています。

正月元旦には雑煮を食べる家が一般的ですが、

手打ち蕎麦もしくは饂飩(うどん)を食べて、昼食に雑煮をとる家もあります。

これが正月蕎麦ですが、「つるつる噛め噛め」鶴亀となり、縁起がよいのだといいます。

長崎県の対馬はかつて木場作(こばさく、焼畑農業)で、ソバの栽培が盛んでした。

ここでは、蕎麦餅がつくられています。

前監査役 市川健夫

日穀製粉株式会社 社内報『にっこくだより』連載記事「蕎麦学入門」

2011/04/25

第2話 「そば焼餅」

縄文中期(4千〜5千年前)の井戸尻遺跡(富士見町)から澱粉質の炭化物が出土しています。

在野の考古学者として著名な藤森栄一は、縄文のパンといっています。

その澱粉質はドングリの実か、焼畑で作ったアワ・キビ・ソバなどの穀物であるか分かりませんが、

1万年前から存在したソバの調理法は、灰の中で焼いた焼餅のようなものであったに違いありません。

 

オリエントやヨーロッパ諸国におけるパンは、17世紀までイースト菌を用いず、

主原料は小麦ではなく、大麦を煮て半ば液状化したものを丸めて焼いたもので、

日本における焼餅と同様なものでした。

 

小麦やそばの焼餅は、ともに落葉広葉樹の落葉を炊いて、その灰で焼いたもので、その味は格別です。

特に長野県川上村の「カシャッパ餅」はそば粉に味噌漬けやサンショウを混ぜ、柏の葉で包んで焼いたもの。

また信州南部、遠山郷ではサンマを3センチぐらいに切り、これを入れたそば焼餅が名物になっています。

 

 

前監査役 市川健夫

日穀製粉株式会社 社内報『にっこくだより』連載記事「蕎麦学入門」

2011/02/23

第1話 「蕎麦という作物」

蕎麦はタデ科に属する作物です。

稲、麦、粟(あわ)、黍(きび)、稗(ひえ)、蜀黍(もろこし)(高黍)などの主要な穀物は、

イネ科の作物であるのに対し、蕎麦は少数派です。

ところが、ソバを日本語では蕎麦、中国では莽麦、英語ではBuckwheatと書きます。

いずれも麦の一種であるという表記は、世界で最も生産量が多い小麦と同様に、

ソバが重要な穀物だという認識に基づいています。

 

日本における蕎麦に関する文献資料は養老6年(722年)の『続日本記』が最初です。

しかし、島根県頓原町では1万年前、また高知県佐川町では9300年前のソバの花粉が発見されています。

このソバは野生のものか、半栽培かはっきりしませんが、5千年前の縄文中期には焼畑耕作が営まれ、

ソバが作られていたと考えられます。 

 

いずれにしてもソバは日本最古の作物です。

2300年前の弥生時代からの稲よりも、はるかに長い歴史を持つソバは、

日本人の食生活と深くかかわってきたのです。

 

 

前監査役 市川健夫

日穀製粉株式会社 社内報『にっこくだより』連載記事「蕎麦学入門」